【連載 vol.3】民法のルールは労働者に冷たい!?

連載 労働問題を考える.001

「労働法」には、どのような種類があるのか?

前回もお話しましたが、「労働法」という法律はありません。
「労働法」は、「雇用されて働くことに関する法律の総称」程度の理解で十分です。

そして、労働問題のルールを定めているのは、以下のような法律たちです。

  • 「労働契約法」
  • 「労働基準法」
  • 「労働組合法」
  • 「男女雇用機会均等法」
  • 「労働者災害補償保険法」

では、これらの法律は、具体的にどのようなルールを定めているのでしょうか?

これを理解するためには、労働法に登場する2つの世界を知っておく必要があります。

1つは、「個別的労働関係」の世界です。

いきなり難しいことばが出てきてしまましたが、大丈夫です。

サラリーマンや、アルバイト、パートタイマー、派遣労働者など、呼び方も働き方もまちまちですが、いずれも「雇用されて働く」人たちです。このような人たちを総称して、「労働者」といいます。また、「労働者」を雇用する側の人たちを「使用者」といいます。

「個別的労働関係」とは、「労働者個人」と「使用者」との間を取り巻く世界のことを指しています。サラリーマンの方が普段働いている環境をイメージしてもらえれば、それが「個別的労働関係」です。

この世界のルール(法律)としては、

  • 「労働基準法」
  • 「労働契約法」
  • 「男女雇用機会均等法」

などがあります。
ここに挙げた法律たちが、以下のような場面についてのルールを定めています。

  • 労働者として採用される場面
  • お給料をもらう場面
  • 残業をすることになった場面
  • 出張や転勤することになった場面
  • 昇進・降格される場面
  • 他の会社に転職することになった場面
  • 職場でセクハラ被害にあった場面
  • 会社をクビになった場面

などなど、「雇用されて働く」ことには実に様々な場面がありますね。これらについてのルールを定めています。

そして、もう1つの世界は、「集団的労働関係」です。

これは、「集団的」とありますので、労働者の集まりのことを指しています。労働者の集まりのことを、「労働組合」といいます。聞いたこありますよね。

ですから、「集団的労働関係」とは、「労働組合」と「使用者」との関係を取り巻く世界のことです。この世界のルール(法律)としては、

  • 「労働組合法」
  • 「労働関係調整法」

などがあります。
この法律たちは、以下のような場面についてのルールを定めています。

  • 労働者が労働組合を結成しようとする場面
  • 労働組合が組合活動をしようとする場面
  • 労働組合が団体交渉を要求しようとする場面
  • 労働者がストライキに打って出ようとする場面

など、労働組合を組織したり、活動したりする様々な場面がありますが、これらの場面についてのルールを定めています。

最近では、終身雇用・年功序列制度の下で、1つの会社との一蓮托生を嫌う世代が台頭し、特定の働き方にとわられることのない自由な環境が醸成されつつあります。

また、会社の経営改善・維持存続のためにたくさんの従業員をリストラしたり、早期退職を募ったりするなど、労働者と使用者の関係もドライになりつつあります。

このような状況の変化を踏まえて、第3の世界として、「労働市場」という世界が取り上げられるようになりました。

これは、「労働力を買いたい人(求人者)」と「労働力を売りたい人(求職者)」がそれぞれ取引の相手方を探す世界です。

この世界について定めたルール(法律)としては、

「雇用対策法」
「職業安定法」
「雇用保険法」
「労働者派遣法」

などが挙げられます。

「労働法」はどうして必要なのか?

労働問題_労働法の必要性

これまで、個別的な労働関係、集団的な労働関係など、労働問題をとりまくシーンを紹介し、それぞれに関わる色々なルール(法律)をみてきました。

では、そもそも、なぜこのように色々なルールを細かく定める必要があるのでしょうか?s

そこで、次に、労働関係をとりまくルールの存在意義を考えてみましょう。

私たちの生活にあふれている契約たち

雇用されて働く労働者、労働者を雇用する使用者、労働者の集まりである労働組合は、いずれも私的な存在です。法律的な表現をすれば、「私人(シジン)」です。

この私人と私人の間の法律関係を定めているルールは、「民法」という法律です
聞いたことはあるかもしれませんね。

  • 部屋を借りる契約
  • モノを売り買いする契約
  • お金を借りる契約
  • 電車に乗って目的地まで運んでもらう契約

など、私たちの生活には契約が溢れています。

これらの契約はいずれも私人と私人の間の契約ですから、民法が定めるルールに従うことになります。

そして、雇用されて働くという労働者側の約束と、それに対してお金を支払うという使用者側の約束からなる雇用契約も、やはり私人と私人の間の契約です。

したがって、民法が定めるルールが適用されるわけです。

民法があれば、労働法なんていらない!?

私人と私人の契約は、民法がルールを定めてくれています。そして、労働者と使用者の間の雇用契約も民法のルールが適用されるわけです。

そうすると、単純に疑問が湧きます。

民法があるんなら、労働法なんていらないんじゃないか?

確かにそのとおりだと思います。

すでに、ルールが定められているところに、さらに新しいルール持ってきたら混乱しそうです。

しかし、労働法が民法とは別に労働関係に関するルールを定めていることには理由があるんです。

その理由とは、ズバリ、「民法は冷たすぎるから」です。

どういうことかというと、現実の職場で実際に働いている労働者に民法のルールをそのまま適用してしまうと、労働者に酷なことがたくさん起きるんです。

労働問題_労働者に酷

「契約自由の原則」という美辞麗句!?

では、労働者に酷なことが起きるのはなぜなのでしょうか?

民法のルールが妥当する世界においては、登場人物である私人は、みな平等・対等であるという前提で話が成り立っています。

その結果、私人と私人との間で結ばれた契約は、平等・対等な当事者どうしの自由な意思(法律の世界では、「意志」ではなく、「意思」と書きます)に基づくものと考えられ、原則として、法律はその内容に立ち入ることをしません。

これを、専門用語で「私的自治の原則」あるいは、「契約自由の原則」などといったりします。

「自由」・「平等」・「対等」というのですから、何やらとても良さそうな響きです。

確かに、この契約自由の原則が適切に機能している限りは、民法の世界ではトラブルは起きません。

ところが、労働者を取り巻く世界では少し事情が違ってくるんです。

自由・平等・対等の裏にある不自由・不平等

では、労働者に酷なシーンというのは具体的にどんなものなのでしょうか?

時給300円で10時間労働が許される!?

例えば、次のようなシーンを見てみましょう。

地方から東京の大学に進学した学生が、親の仕送りだけでは生活が苦しく、隙間時間を使ってアルバイトをして生活費を捻出しようと考えました。

ところが、不景気の影響で、なかなか条件のよいアルバイト先が見つかりません。

そこへ、この学生を雇ってもよいという会社が現れました。聞くと、仕事内容は、夜間の工事現場での肉体労働で、10時間ぶっ続けで休憩もないといいます。

しかも、時給は300円。さすがに、条件が劣悪ですので、通常であればこの会社で働くなどということは考えられません。

しかし、この学生は今すぐにでもお金が必要なので、この条件で働くことを決め、この会社で働く契約を結ぶことにしました。

このような極端な例は稀かもしれませんが、民法の世界では、これも契約自由の原則の建前の下では許されてしまうのです。

しかし、こんな劣悪な条件での労働が野放しにされれば、立場の弱い労働者は、低賃金・長時間労働・過酷な環境で酷使されるのは明らかです。このような状況が許されるはずはありません。

契約自由の原則は、「社長のきまぐれ」を許すの!?

また、こんな場面はどうでしょうか?

契約自由の原則には、「契約をするかしないかも自由」、「契約の内容も自由」、「契約をやめることも自由」という原則が含まれています。

このことを雇用する側とされる側にあてはめてみると、こんな感じになります。

例えば、ある会社がある労働者を雇用していましたが、突然クビにすると決めました。クビにする理由は「社長の気まぐれ」です。このようなことが許されると思いますか。

民法の世界では、当事者が雇用の期間を定めなかった場合は、使用者側からか労働者側からかを問わず、各当事者のいずれの側からでも、いつでも契約の解約の申し入れをすることができるとされています(民法627条)。

この「いつでも」というのは、いつどのようなときでも、どのような理由でも、ということを意味しています。

つまり、上の例では、「社長の気まぐれ」でクビにするということもまかり通りことになります。

もちろん、労働者の側からも、何か特別の理由がなくても、いつでも会社を辞めることができることになりますが、現実問題として、労働者が突然辞めることと、会社側が労働者を突然クビにすることとの間には、被るダメージの大きさが全く違います。

会社にとっては、多数いる従業員の1人に過ぎず、その人に代わる人材は容易に見つけることができそうですし、その人ひとりが辞めてしまっても、会社の売り上げがゼロになってしまうという可能性も低いでしょう。

一方で、労働者にとっては、せっかく苦労して就職した会社ですし、会社を辞めてしまえば収入もなくなってしまうでしょう。そうなれば、明日の生活もままなりません。

両者が被るダメージを比較すると容易に想像がつくように、労働者にとっては、いつクビにされるかわからない不安定な契約は、生活に直結する一大事なのです。

民法が規律するルールに従うと、契約自由の原則の下で、労働者は、いつクビにされるかもわからないという恐怖を感じながら日々会社に通うことになってしまうのです。

契約自由の原則は、労働者を見殺しにするのか!?

このように、民法の世界では、労働者側の立場が非常に不安定です。そのような状況下であれば、職場での事故が起きる可能性や精神的な疾患の発症率もおのずと高くなってきます。

しかしながら、民法の世界では、このような事故や疾患の場合にも、労働者に酷な扱いをしています。いわゆる「過失責任の原則」という建前です。

例えば、こんなケースを見てみましょう。

労働者が会社の工場で機械を組み立てる作業に当たっていたとしましょう。そして、この機械に手を挟んでしまい大ケガをしてしまいました。

この場合、労働者としては、職場で起きた事故により負傷したとして、会社に対して損害(ケガの治療費など)を賠償してほしいと考えるのが普通です。

まずは、会社との話し合いで解決するになりますが、会社側が首を縦に振らない場合は、裁判所の力を借りて、解決を図ろうということになります。

裁判所に訴えて損害を賠償してもらおうという場合は、「不法行為に基づく損害賠償請求」(民法709条)や「債務不履行に基づく損害賠償請求」(民法415条)という形をとって会社に対して損害の賠償を求めることになります。

ところが、この損害賠償請求が認められるためには、請求の相手方、つまり会社側に「故意(わざと)・過失(うっかり)」があることが必要になります。さらに、会社側に「故意・過失」があるということを、労働者の側が立証(証明すること)しなければなりません。

仮に、この事故の原因が、この労働者の居眠りなどにあった場合は、会社側に「過失」はなさそうですので、損害賠償請求は認められないでしょう。

一方で、会社側が、機械のメインテナンスを怠っており、労働者としては適切な操作をしたにもかかわらず誤作動を起こし、手が挟まれてしまったなどという場合は、会社側に「過失」がありそうです。

しかし、くり返しになりますが、会社側に「過失」があることも、損害賠償を請求する側である労働者側が証明しなければなりません。

ところが、この証明はそう簡単なことではありません。

裁判で決着をつけようということになれば、その分費用もかかりますし、時間もかかります。結局、泣き寝入りすることも稀ではないのです。

労働問題_労働法が民法を修正

待ってました!「労働法」の出番です!

いかがですか?

民法のルールがいかに労働者に酷かを感じてもらえたかと思います。

そこで、登場するのが「労働法」です。

上でみてきたように、民法の世界が冷たいのは「契約自由の原則」が引き金となっています。

民法の世界では、「使用者と労働者は対等」という前提があります。

しかし、使用者と労働者との関係にこの前提をあてはめることには無理がありそうです。

やはり、「雇ってもらう労働者」と「雇ってあげている使用者」という関係があるせいで、労働者の立場は弱くならざるをえないんですね。

立場の弱い労働者を守るためには、民法のルールを修正してあげる必要があります。

その役割を果たしているのが、まさに「労働法」なのです。

あとがき

民法が基本的なルールとしている「契約自由の原則」が労働者には酷なこと、そのため、民法のルールを修正するルールとして「労働法」が必要なことがわかっていただけましたか?

次回からは、労働法が民法をどのように修正しながら、労働者と使用者の関係をどのように規律しているのかを見ていくことにしましょう。

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